愛善苑
 

昭和青年会第一回総会における訓話


昭和六年十一月十三日 於・大祥殿(亀岡)

 今日は昭和青年会の第一回総会となりました。私はこの間会長に就任しましたが、 初めてこの会服を着せられたので首が太すぎて(拍手笑声)窮屈で困っています。も うすこしゆったりとやってもらわんと、今から首が廻らんようなことでは、仕様がな いから・・・・・(笑声拍手)

 昭和青年会という名称を附したのは、ちょうど現在の年号が昭和でありますから、 昭和青年ともいうことができますが、「昭和」の「昭」は日月天に昭々として輝き玉 うの「昭」をとったのでありますし、「和」とは和合、団結力、和魂の意でありま す。

 よく無産党の青年とか何々党とか、なにやら青年等というのがあるが、これは「昭 和」ではなくして「陰和」である。吾々はこの日本を初め、世界各国に向かって堂々 と昭らかに主義を主張し、そして団結して日本のために、あるいは東洋平和のため に、世界の平和のために、あらん限りの努力をつくしたいという考えから「昭和青 年」という名をつけたのであります。そして「我らは前途洋々たる昭和の青年なり」 という一つのモットーをこしらえたのであります。

 この通り前途は洋々と・・・・・しかしその言葉をこしらえた時にはわずかに天声 社の一部の青年がかかっておったのでありまして、ごく微弱なものであった。それが 自然の変遷と共に盛んにならねばならないような時期が到来したのであります。

 私が更生祭をして六十一才の赤い着物を着た赤ん坊になりまして、その赤ん坊がい よいよ青年会に飛び出したのでありますから、よほど世の中は必要に迫られているこ とを、これをもっても考えられることと思います。

 今までの会員は十五才以上三十才以下とかいうような制限をつけておったのです が、今度はそういう制限を上に対して、もうけなかったのは・・・・・元来吾々神に 奉仕するものには年齢はないはずであります。神の方から言えば時間空間を超越して いるのである。ただこの世の中に早く生まれて正月の餅を余計喰ったか、少し喰った かだけの違いであって、年というようなことを考えておったならば何もできない。

 私は蒙古に行った。ところが蒙古人に年を尋ねたときに蒙古人は「年齢を尋ねて何 になるか、また年齢を覚えておって何になるか」と答えた。私は蒙古人の中にも、そ んな偏屈があるのかと思って次々に四五遍くらい同じことを聞いてみましたが、四五 人のものがみな同じ答えを致しました。そこで私も大いに得る所があって、「これは 自分の年を考えておるようなことではいかん。よう考えてみると二十才の青年でも二 十五才で亡くなれば・・・・・吾々が八十才まで、あるいは百才まで生きられるとな ると、こちらの方が若いのである。」そういう風な考えになったのであります。

 今日の青年会にお願いしたいことは、いろいろなことが沢山ありますが、まず穏健 な仕事として今日必要に追っておることは、私の更生祭までに少なくとも三十万ある いは百万部の愛善新聞の購読者があって欲しいという希望であったが、東京に行って からどうも殖えない、減るくらいになってきている。私は非常に憤慨して、こんなこ となら新聞社を天恩郷にもって帰ったらよいと、こんなことまでいうたのでありま す。

 これからは新聞と言うものは営利的の目的のものではない。ただ知らすということ が肝心な目的である。知らして目を覚まさす、すなわち昭かに団結することであっ て、私のいわゆる「昭和の働き」であります。

 それで一部でも一人でも熱心な人をこしらえて読んでもらうように活動してもらい たい。その後のことは総て「昭かに正しき道」によって団結しておったならば、きっ とこれは国家のためになり、世界のためになることはきまっております。

 ある団体のように秘密結社をこしらえ、秘密の団体をこしらえたりする事は断じて 大本にはないのであります。大本には決して秘密はないのであります。中によく妙な 宣伝使がおって「私は会長の秘密の役を受けている」とかなんとか勝手なことをいう 人が折々あるような事を聞きます。秘密の御用であるなどというておったならば、こ れはみな嘘であります。決してこれを信じてはいけません。この昭和青年会といえど も秘密の役をする人は決してない。「昭和」の字の如くみな同じようにはっきりとし た仕事をするのでありますから、どこにもはばからず、天地に恥ざるところの活動を するのであります。決して秘密ということはよいことではない。何かチョット人にい われんようなことがあるから秘密というのである。

 こちらは神様の教えといい、昭和青年の主義といい、秘密やとか、探訪やとか、探 偵的の活動とか、そんなことは一切ないのであります。もしも「秋密の用を受けてい る」とか「私は昭和青年金の秘密役をやっている」、あるいは「瑞祥会の出口王仁三 郎の秘密役をやっている」とかいうような事をいう人があったならば皆嘘であります から、その考えで取り合わぬようにお願い致します。

 新聞紙でも、ご存じの通り今日は内外ともに多岐多難の時であります。日本にも沢 山いろいろな団体がある。忠臣愛国の団体もある。沢山にいろいろな式の団体があり ますが、その実は名ばかりで実行力は少しもない。そして羊頭をかかげて狗肉を売る というようなものが多いのであります。

 どうか吾々は神様を頭に戴いて、そして日月の如き心をもって、どこまでも人類の ためにまた一国家のために、世界のために大々的活動をしたいものであります。しか し今からこうしよう、ああしようという事はまだできませんが、これは塵も積もれば 山となる。十人が百人に、百人が千人に、千人が万人になる。この「昭かに和した所 の力」というものは非常な大きなものであります。それで互いにいろいろな感情問題 などはすっかり捨ててしまって、そしてみんなが本当に青年になってやってもらいた い。

 ちょうど年齢を一年に譬えるならば、青年は桜の花が咲いている最中である。一方 には若芽が萌えているときであります。この青年の中にも夏になった青年もおりま す。緑の濃くなっているのもあれば、非常に黄色いものある。秋になって山野が紅葉 を呈して錦の絵巻物をさらしたような青年も中にはおるのであります。今ここに審査 にでられたあの青年(平松福三郎老人)は、山野に錦を織っているところの秋の光景 であります(笑声拍手)。私はちょうど更生祭の頃の山野の景色であると思っており ます。(笑声拍手)

 かって私はただ四人程の同志と蒙古に行った。松村真澄、植芝守高、それから音に 名高い名田音吉、これだけ連れて行った。私が桃太郎を気取って、松村君がなにもか もやってくれる代理で猿、それから植芝君は勇をもって守るからこれは犬である。そ れから雉はなんでも使いをする役で名田を連れて行ったのである・・・・・。

蒙古にて。(左から)佐々木、王仁三郎、岡崎、大石、松村、名田、植芝。(大正13年)

 ところが蒙古に行っても鶏はコケッコーと鳴き、牛はモウモウ、馬はヒヒンと鳴い ている。そうすると名田君がいうのには「蒙古の獣でも日本語を使っているのに、蒙 古の奴は人間のくせに日本語を知らない」といって(笑声拍手)大変くやしがってい ました。

 しかしながら今日は私は何時また蒙古入りの二の舞をやるかもわからない。ああし てただ四人の同志と、ああいうことをやったくらいでありますから、この際に、日本 の大国難とならんとしておる満州を捨てることはできない。あるいは蒙古問題を等閑 に附することはできないのであります。

 それで行くとも行かんとも未だ明言はできませんが」私の心としてはモウすでに魂 は向こうに飛んでしもうている。胴体だけがここに残っておる。今まではコンロン山 脈を興安嶺の麓を越えて、砂漠の方には行かなかったのでありますが、今度はどうし ても大興安嶺を乗り越すところの勇気をもって行きたいと思うておる。

 ついては青年会の人は内において大本の法城を守護し、また一方においては国家の ために尽くすべき素地を造る訓練を経ておいてもらいたいことをお願いしておく次第 であります。

(講演速記記録)



蒙古の上木局子にて。(大正13年)
上が王仁三郎、下が松村真澄。

「双児の桃太郎」を気取ったもの。
王仁三郎は即興で「桃太郎誕生したる照相を馬飼が 原に撮りし今日かな」と詠んだ。
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