愛善苑
 
 祭(マツリ)(マツル)という語は、「真釣リ」「真釣ル」の義である。「真釣ル」とは、度衡の両端に、重量を懸けて平衡させる意義である。天上の儀と地上の儀とを相一致せしむるの作法が「マツル」(祭祀)である。「マツリゴト」(政道)である。祭祀政道の大義は、これ以外に決してあるべきではない。(中略)

 天上の儀を地上に「真釣ル」のが祭祀である、政道である。現代は祭祀も政道も全くその根本を失って、一片の形式に流れ、権謀を以て政道の本義とさえ思うように至ったことは、何たる大なる誤りであろう。(中略)

 惟神(かむながら)の道というのは、天上地上の祭祀政道の、正しく行わるる有様をいうのである。神の示させ給うまにまに行い往くのが、惟神の道である。惟神の道は祭祀政道の根本義である。現代の如き形式的祭祀、権謀術数的政道は、決して惟神の道でない。天下は、なおいよいよ乱れ往きて、ほとんど停止する所を知らないまでにも成り行くばかりである。

(『出口王仁三郎全集 第一巻』P128)


長生殿斧始式で10年ぶりに斎主を務める王仁三郎
綾部・鶴山(本宮山)の長生殿斧始式で10年ぶりに
斎主を務める王仁三郎。(昭和10年10月28日)
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出口王仁三郎
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