愛善苑
 

附記 霊界物語について




瑞月 出口王仁三郎


霊界物語は総計壱百二十巻をもつて完成する予定になつてをります。しかしながらこれだけ浩瀚(こうかん)な著述を全部読了せなくては、神幽現の三界の経緯が判らないなどと思ふのは間違ひの甚だしきものです。

経を訓(よ)むには、冒頭の一篇を充分に玩味して腹に畳み込めば、すべての精神が明瞭に解し得らるるものです。どんな人間といへども最初の一瞥によつて其の内容や心が読めるものです。

刀剣は鯉口一寸(こひぐちいつすん)の窓さへ開けて視れば、その名刀たり鈍刀たることが判り、蛇は三寸ばかり見ればモウそれで全体の見当がつくものである。

詩経も最初の周南篇(しうなんへん)に自余の篇が包まれてあり、周南は『関々(くわんくわん)たる鳩(しよきう)は河(かは)の洲(す)にあり』の首語に包まれてゐることが判るやうに、本書もまた第一巻の或る一点を読めば全巻の精神が判るはずである。本書の基本宣伝歌三章だけでも全部の大精神が判る。

教祖の書き残された一万巻の筆先(ふでさき)も初発(しよつぱつ)に現はれた、
『三千世界一度に開く梅の花 艮(うしとら)の金神(こんじん)の世になりたぞよ。須弥仙山(しゆみせんざん)に腰を懸(か)け世の元の生神(いきがみ)表に現はれて三千世界を守るぞよ。

神が表になりて上下運否(うへしたうんぷ)の無きやうに桝掛(ますかけ)ひきならして、世界の神、仏、人民の身魂(みたま)を改めて弥勒の世に立替立直(たてかへたてなほ)して天地へお目に掛ける云々』

の神示で全部の御経綸(けいりん)や大神(おほかみ)の意志が判るものであります。

キリスト教の聖書だつて、『神世界を創造(つくり)たまへり。また初めに道(ことば)あり、道(ことば)は神なり、神は道(ことば)とともにありき、万物これによつて造らる』の聖句さへ腹に畳み込めば聖書の全体の精神が判るのである。

たとへば茶室の中に一輪の朝顔が床柱(とこばしら)に掛けてあるのも、見やうによつて茶室内はおろか天地全体が朝顔化するものである。

すべて物は個体によつて全体が摂取され得るものである。華厳経の一花百億国(いつくわひやくおくこく)とは、一微塵(いちみぢん)に三千世界を包むといふの意義であります。こういふ見地に立つた時は、何ほど大部の本書もただ一章の註釈に過ぎないのであります。

最奥(さいあう)天国の天人になると、智慧証覚が他界の天人に比して大変に勝つてゐるので、他界の天人が数百万言の書を読んでも、まだ充分に理解し得ないやうなことでも、簡単なる一二言によつて良く深遠微妙なる大真理を悟るものである。

要するに未だ第一天国天人の境域にその霊性の達してゐない人のために、神意に従ひかくのごとき長物語(ながものがたり)を著述したのであります。読者諸氏幸ひに御諒解あらむことを、ここに一言述べておきます。


霊主体従 子の巻 終り





出口直のお筆先の一部



"艮の金神"こと国祖・国常立尊


開祖・出口直
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