クイックリファレンス: 1. 王仁三郎の映像 2. 王仁三郎の肉声 3. 『言霊録』とは 4. 出口王仁三郎扮する七福神 |


レコーディング中の王仁三郎
※高熊山ご入山満二十年を記念して、大正11年3月7日(旧2月9日)松雲閣で霊界物語第十二巻総説歌および祝詞などを収録。このときの様子は、第十二巻第八章の思出の歌に詠み込まれています。
- 「聖師さまの実母 上田よね様」
(昭和4年8月、現亀岡市穴太の聖師生家で撮影) - 「九州別院で歌碑除幕式」
(昭和8年9月8日、熊本県鹿本郡吉松村豊田の皇道大本九州別院神苑内、鏡の池脇に建立された聖師歌碑除幕式に臨席された聖師さまです。
歌碑のお歌は「言霊の誠を筑紫のしまが根に 生かし照らさむ惟神吾は」) - 「人間・出口統管のプロフィール」
(昭和9年12月1日 於昭和神聖会総本部) - 「皇道大本大祭」
(昭和10年10月27日〜31日) - 「歌祭り」
(昭和10年10月31日 於亀岡明光殿)
【こちらもチェック】 ※「開教100年歌祭り」を見る (平成10年3月7日 於愛善苑会館) |
- 「聖師さまの戯れ姿」
(昭和5年5月13日 於佐賀県有田の三六分院裏手の永祥山)
『お昼は分院裏手の山、永祥山に登って弁当を開かれ、折から来合はせた佐賀、武雄、鹿島の信徒数名お相伴に預かる。久富氏は一行登山の模様や、聖師様が戯れられる様をパテーベビーにをさむ。』(『庚午日記』北村隆光記)
聖師様のお歌(5月13日 於三六分院)
○大空は一片の雲さへも無くいや澄みきりて清しき朝かな
○遠からぬ支部の宣信訪ひ来り午後三時半帰りてぞ行く
○久富氏宣信共に永祥山に登りて弁当開き遊べり
○今日も亦磁器の素焼に筆染めて肩凝らしたり眼を痛めたり
○黄昏の湯にひたりつゝ髭を剃り再び磁器に書画をかきたり
- 「聖師さまを慰労する地元の面風流踊り」
(昭和5年5月14日 於佐賀県塩田町高津原 鹿島分所)
『鹿島分所に着いたのは午後五時、一寸御休憩された計りで直ちに踊が初まつた。初めは村の有志男女三拾五六名が鉦、太鼓、笛の合奏で節面白い『面浮流』(風流とも書く)で、面を被つて踊るさま、勇壮活発で全く男性的である。つぎに瑞祥会員、愛善会員の婦人連二十余名が相撲甚句を謡ひながら踊り、最後に皿踊りをお目にかける。皆それぞれ面白いものであった。』(『庚午日記』北村隆光記)
聖師さまのお歌(5月14日 於鹿島分所)
○午後三時有田の分院立ち出でゝ吾を迎への自動車に乗る
○武雄町の支部神前に神言を奏上まなく少照を撮る
○松蔭神社前をよぎりて高津原の鹿島分所に五時前に着く
○小憩のいとまもあらず面風流佐賀名物の踊見しかな
○後の夜の月は御空にありながら疲れたるまゝ寝に就きたり

(『言霊録』からの抜粋)
![]() 昭和青年会第一回総会で演説する王仁三郎(昭和6年) |

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出口王仁三郎・幻の肉声 (CD) 言霊発声を重視した王仁三郎は、大正11年と昭和6年に自身の声をレコードに録音。そのほとんどは、昭和10年の弾圧事件で破棄され、わずかに残っていたレコード盤から肉声のすべてを収録した。 |
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七福神について、王仁三郎は「七福神は神のあらゆる美徳をあつめたものである」と賞賛してやみませんでした(『霊界物語』第65巻第26章「七福神」にも登場)。写真は昭和8年9月28日、天恩郷智照館で撮影されたもの。
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