出口王仁三郎

出口王仁三郎
出口王仁三郎提唱の愛善苑出口王仁三郎提唱の愛善苑





出口王仁三郎は、恋愛や結婚、家庭、ひいては神の愛について述べています。

そこで、王仁三郎の恋愛観をまとめた『出口王仁三郎の愛のかたち』(出口昭弘編) をご紹介します。
本著は愛の全体像を明らかにし、根元的問題についての手がかりを提供します。

不安な今の時代を生きる私たちの指針となれば幸いです。


王仁三郎と二代教主・澄。冠島にて。
(昭和5年6月4日)


『出口王仁三郎の愛のかたち』
『出口王仁三郎の愛のかたち』

  愛に五つの別あり
 すべて愛なるものに五つの別あり。その一は親子の中の愛なり。親が子を愛し、子が親を愛するは、人類をはじめとして、 鳥けだものにいたる迄しからざるはなし。動物自然の愛なり。この愛なきものは世界になし。されど今の世は末の世となれ るをもって、親よりは子を愛すれども、子より親を敬い愛するもの少なし。鳩にも三枝(し)の礼あり。烏(からす)に 反哺(はんぽ)の孝ありというにあらずや。子として親をうやまい、かつ愛せざるものは鳥(とり)けだものに劣れりと いうべし。野山の猛(たけ)き獣類(けもの)さえ、子を愛することは知れり。わが子のみを愛しながら、わが父母を敬い 愛せざるもの、いまの世にもっとも多し。
 その二は好(この)むの愛なり。馬を好むがゆえに馬を愛し、女を好むがゆえに女を愛し、盆栽を好むがゆえに盆栽を愛 す。すべて好むの愛はおのれの好みによりて、おのれの心を愛するものなり。馬そのもののために愛するにあらず。女、盆 栽そのほかすべて、そのもののために愛を加うるにあらざるものは、みな好むの愛なり。
 その三は義理の愛なり。義理の愛なるものは心の底より愛するものにあらず。継母(ままはは)が継子(ままこ)に対し、 まことに心うるわしくして、心の底より愛するものなきにもあらず、されど中には、その夫に対するために愛し、親戚に 対するのために愛し、また世間へ対するために愛す。これらの類は、すべて義理の愛とはいうなり。
 その四は偽りの愛なり。口先に愛を唱(とな)えつつ心にその愛なきものなり。偽善者なるものの口にとのうる愛は、 すべて偽りの愛なり。心の狭き神道者、またはかたくななる取次(とりつぎ)の愛は、多く偽りの愛となるものなり。
 その五は神の愛なり。正しき麗(うるわ)しき愛なり。おのれに敵するものを愛するなり。心のまがりたるものを愛し て善にみちびくは神の愛なり。人をかたより見ざるなり。国の内外を問わず、人種の異同(いどう)を論ぜず、ひとしく 愛するなり。神は善人の田をも照らし、悪人の田をも照らしたもうごとく、いかなる悪(あ)しき人たりとも、善人と同 じく愛するを神の愛というなり。神の愛は悪しきものを殊更(ことさら)にいつくしむの愛なり。

   ※(右)王仁三郎と秋田犬のしろ。(昭和18年から19年
       の冬の頃。中矢田農園・熊野館にて。)




(『道の栞』明治三七年旧六月)

 

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