(大正十一年三月七日吹き込み)

大本の教えは真の神の救いの言葉でありますから、この教えを信仰するがために、様々の攻撃や妨害に合うことがあっても、腰を抜かしうろたえ騒いではなりません。

少しの事で腰を抜かすような弱虫では、とうてい神の国の強者となることはできぬ。

強き悪魔に打ち勝つには、忍耐の上にも、忍耐が加わらなければならぬ。

神の国の戦人たるものは、たとえ百千万の悩み、わずらいに合うとも、屈することなく、たわむことなく、曲津の軍勢に追いまくられては、誠の真の神の御前に複言を申すことができないから、あくまでも誠を杖に、神を力に、忍耐に忍耐をもって進撃せなくてはなりません。

いかなる災いに合うとも、決して神を忘れてはならぬ。道をかえてはならぬ。我とわが心を軽んじてはなりません。

終わりまでよく忍び、誠の鉾を執ってよく戦い、生命と栄光と歓びの勲章をわが胸に輝かすまで、忍び忍んでゆくのが信仰の本義であります。

知識の全き者は忍耐力をして、良く生ける働きをなさしむる力があるものである。

いかほど耐え忍ぶとも、生ける働きのなき堪え忍びは、その心を殺し、その身を殺すものとなってしまう。

苦労をするのは、幸福の種を播くものである。

されども、無益の苦労は神の御心に背き、ついにわが身を亡ぼし家を破るようなことになってしまう。

この智慧をして生かし働かしむるものは、真の信仰である。即ち天帝より賦与せられたる四魂がよく働くからである。

道を毀(こぼ)ち、神を無視し、かつ疑い、人の甘き言葉に乗せられる者は、真の智慧の足らぬ者である。

『神の道の者よ、汝等の与えられたる幸魂をもって、彼ら足らわぬ者を憐れみ、大胆に熱心に神によりて明き賢き道に導け。神は汝等に奇びなる智慧と力を与え給わん。真霊の魂、汝を守り、瑞の霊、汝を助けん。勇み進め。』