出口和明(でぐち・やすあき)
ペンネーム=十和田龍(とわだ・りゅう)

昭和5年(1930年)8月15日生、出口王仁三郎の孫で、出口宇知麿、出口八重野の間に産まれる。出生地は綾部・穹天閣。
出生秘話として『月鏡』「十和田湖の神秘」、『東北日記』、『真如の光』、『庚午日記』、『玉鏡』「男装坊の再生」など聖師の残された資料は実に多い。『月鏡』「十和田湖の神秘」には、
「かくて男装坊(出口和明氏の前世の姿)は三熊野三神別けて神素盞嗚尊の神示によりて弥勒の出現を待ちつつありしが、天運ここに循環して昭和三年の秋、四山の紅葉今や錦を織らむとする頃、神素盞嗚尊の神示によりてここに瑞の魂(出口王仁三郎聖師)十和田湖畔に来り、弥勒出現の神示を宣りしより男装坊は欣喜雀躍、風雨雷鳴地震を一度に起してその微証を示しつつその英霊は天に昇りたり。それより再び現界人の腹を籍りて生れ男性となりて弥勒神政の神業に奉仕することとなりぬ。

ああ神界の経綸の深遠にして宏大なる到底人心小智の窺知し得る限りにあらず。畏しとも畏き次第にこそ。惟習霊幸倍坐世。

附言、男装坊現世に再生し、弥勒の神業を継承して常盤に堅盤に神代を樹立するの経綸や出生の経緯に就いてはこと神秘に属し、未だ発表を許されざるものあるを遺憾とするものであります。」

十和田湖上の王仁三郎一行

とあります。また、『玉鏡』「男装坊の再生」には、
「『月鏡』「十和田湖の神秘」を読んだものは誰も知っている如く、湖の主が昇天の時、王仁に約束した言葉がある。「再生の時は大本に生れて参ります」と。…元来は王仁の子となって生れる筈であったが、それが出来なかったので、八重野が生まして貰った和明がそれである。十和田の龍神の再生であるから、十和田の和をとり明は日と月で神を表はす積もりで斯く命名したのである。王仁をばかり慕って、父親はそっちのけで聖師様々々とつけまとう。霊の因縁は不思議なものである。」
とあります。

昭和10年、5歳のときに第二次大本弾圧事件が起こり、祖父・祖母・父ら入牢。
中学4年で家出し、一年間、北国新聞記者となる。昭和27年、早稲田大学に入学するも中退。その後、幾多の職業を遍歴。
昭和38年、第2回オール讀物推理小説新人賞受賞。

著書に、『大地の母』(毎日新聞社、全12巻、1969〜71年)、『出口直・王仁三郎の予言・確言』(光書房、1978)、『出口王仁三郎入蒙秘話―出口清吉と王文泰』(いづとみづ社、1985)、『第三次大本事件の真相』(自由国民社、1986)、『オニサブローウーピーの生涯・明治篇』(新評論、1987)、『出口王仁三郎の神の活哲学』(お茶の水書房、1987)、『予言と神話』(八幡書店、1991)などがある。

宗教法人 愛善苑宣伝使会会長、霊界物語刊行会会長
平成14年(2002年)06月18日ご昇天(享年71歳)。