遠路はるばる亀岡の愛善苑を訪ねてくださるのなら、お祭りの時がいいと思います。 愛善苑では、新年、節分、春、夏、秋に、それぞれお祭りを行っています。 愛善苑で毎年行われる主なお祭りは、以下のとおりです。 |
お祭り | 時期 | 説明 | ||
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新年祭 | 1月 | 新年をお祝いするお祭りです。 | ||
節分太祓大祭 (せつぶんおおはらえ たいさい) | 2月 | 節分は旧暦でいえば大晦日。この日に、私たちが主神(すしん)とあがめる、神素盞嗚大神(かむすさのをのおほかみ)に、私たちが知らず知らずに犯した多くの罪けがれをきれいに祓い清めていただきます。 お祭りには、祓い清めていただく人の住所、氏名、生年月日などを記入した「型代(かたしろ)」という、神素盞嗚大神のお姿に似せた用紙が使われます。(下図ご参照) | ||
みろく大祭 | 4月 | 昭和3年3月3日、出口王仁三郎は満56歳7ヶ月を迎えました。567(「みろく」と読みます)は、みろく大神(救い主の別名)の象徴とされています。この吉日に王仁三郎は、自分がみろく大神として地にくだりましたよ、という宣言をしました。そして、このいわゆる「みろく下生(げしょう)」を祝うお祭りが当時行われました。 そのお祭りに端を発し、月日としては変わるものの、ただの一度だけ、天の大神様(造物主)が救い主として地に降られたことの意義とご恩を永遠に伝えていくお祭りです。
(以上、王仁三郎の歌) | ||
歌まつり | 8月 | 瑞霊降誕祭の前日に行われるお祭りです。 『古事記』『日本書紀』によりますと、和歌の道は素盞嗚尊(すさのをのみこと)が始めたとされています。 素盞嗚尊は、神素盞嗚大神のご分霊のひとつとされており、愛善苑ともゆかりが深い神様です。 この故事に端を発する「歌まつり」は、古来の日本では行われていましたが、いつのまにか絶えてしまいました。 王仁三郎は、この「歌まつり」を復活させました。このことを記念しておこなわれるのが愛善苑の歌まつりです。
◆「歌祭り」(昭和10年10月31日 於亀岡明光殿) の映像 ◆開教100年歌祭り(平成10年3月7日 於愛善苑 会館)の解説と映像 歌まつりが行われた日の夜、王仁三郎考案の「みろく音頭」で、盆踊りに似た「みろく踊り」が行われます。勇壮な太鼓の音に合わせて老若男女が楽しく踊る姿は必見です!
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瑞霊降誕祭 (ずいれいこうたんさい) | 8月 | 明治四年旧暦7月12日に出口王仁三郎が生誕したことを記念するお祭りです。 また同時に、第二次大本事件でとらわれの身になっていた出口王仁三郎、妻すみ、 出口宇智麿三名が昭和17年8月7日、釈放されて亀岡の熊野館に帰ってこられた日を 記念する祭典でもあります。 愛善苑では「歌祭り」と「瑞霊降誕祭」を『スサノヲ夏祭り』と総称して厳粛かつ陽気な気分で祈り・詠い・踊るお祭りとして盛大にとりおこなっています。 | ||
愛善苑大祭 | 11月 | 出口王仁三郎は、第二次大本事件(国家による宗教団体・大本への不当な弾圧)のはじまった昭和10年から満十年目の昭和20年12月8日、いままでの「大本」を捨てて「愛善苑」として新たな出発をしました。 それより「大本愛善苑」「大本」と変遷し、昭和61年11月7日、出口王仁三郎を永遠の苑主とあおぐ「愛善苑」が不死鳥のごとく再興されました。 愛善苑大祭は、再発足の愛善苑として神素盞嗚大神をはじめて熊野館に鎮祭したこの吉日を記念して行われるお祭りです。 | ||
12・8 新生記念祭 (しんせいきねんさい) | 12月 | 昭和20年12月8日、出口王仁三郎が第二次大本事件解決から愛善苑として新発足した日を記念して行われるお祭りです。
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