1985年 新評論刊 『出口王仁三郎』「青春の詩」序文より抜粋

本書の読者は、おそらく次のような疑問を抱かれるであろう。「この作品はいったいノンフィクションなのか、フィクションなのか」と。

執筆にあたって、私はあくまで事実のみを書き続けてきたし、今後もその姿勢は変えないつもりだ。事実を歪めることの方がより話がおもしろくなりそうだという時でも、私はその誘惑に負けたことはない。幸い『大地の母』の舞台となる大本は、奇なる事実の宝庫であり、主人公である王仁三郎の思想も行動も、まさに奇想天外である。事実を述べることの方が、はるかに小説的である。登場人物も実名を使用する。その意味では、まさしくノンフィクションである。

だが、この本に登場するのは、さまざまな人間群像ばかりではない。善と悪との神霊群像も大事な役割をになう。これらがなまなましく生きる世界を描き、また登場人物の内面にまで立ちいたるには、どうしても小説的手法を借りつつ切り込む必要がある。

今では歴史の表面からは消し去られているが、王仁三郎の存在は塵史の襞(ひだ)襲に深く刻印されている。それを堀り出し、現代に甦らせるために、それらの事物に語らせる語り部に徹してゆく覚悟である。

十和田 龍


"十和田 龍" こと出口和明




金明霊学会の役員。最前例中央は出口直、右
は上田喜三郎、左は出口澄。(明治34年1月)