ここに王仁三郎の神観の根本があります。
神は万能、神は何でもできると思っている人が多いのですが、そうではないのです。
神は霊的存在にすぎず、コップひとつ動かすこともできません。そのコップの移動を実現させるためには、人間の具体的な手の動きが必要不可欠なのです。
つまり、「抽象的存在である神」と「具体的存在である人間」とが一体になったとき、初めて何かが実現するのです。
神はこの宇宙を創った以上、本当に弥勒の世を創り出したいという意志をもっています。
その期待にパートナーとして応えうるのは、人間だけなのです。
「人間は天地経綸の主体」と断言している王仁三郎の言葉ほど、人間の使命を大きくとらえた哲学はないでしょう。